「十絶陣の戦い・『寒氷陣』・量子力」
『封神演義』第125回
太公望と普賢真人の違いが描かれた話。
普賢真人は人と妖怪の相互理解を目指すが太公望は既にそう言う情況ではないと反論する。
これで思い出したのがアメコミ映画のX-MENシリーズ。
簡単に説明すると「ミュータント」と呼ばれる突然変異が誕生して人間社会で迫害されると言う話。そこでプロフェッサーとマグニートーと言う二人のミュータントが登場するのだが、主人公側のプロフェッサーは人間との相互理解を目指し、敵側のマグニートーはかつてユダヤ人として迫害された過去があるので早く人間を倒さないとミュータントは滅ぼされる事になると訴える。
一見すると、マグニートーが現実を見ていてプロフェッサーが理想を見ているように見えるが、実はプロフェッサーは人の心を読む事が出来て、人間とミュータントどころか、人間同士、ミュータント同士、果ては家族でも争い憎む事を理解している。この世界で誰よりも現実を知っているが故に相互理解が達成された理想の世界を作ろうとしているとなっている。
個人的には普賢真人もプロフェッサーと同じで「現実を知っているからこそ理想を語る」人物だと思う。太公望も袁天君も普賢真人は現在の情況を理解していないと感じていたが、実際には今回の話で普賢真人が把握できていなかった事柄は一つも無い。(だからこそオートで核融合をセットしていた)
「わかり合えないって悲しい事だね」と普賢真人は言っていたが、普賢真人は相手が何を考えてどのように行動するかまで全て分かっていた。この普賢真人の「わかり合えない」と言う言葉は「自分は分かっているのに相手は分かってくれない」と言うふうにも取る事が出来る。つまり普賢真人は「たった一人、自分だけが全てを分かってしまっている」のだ。ある意味、かなり孤独だと言える。
個人的に普賢真人にはどこか「孤独」な印象を受けるのだが、ひょっとしたら、「普賢真人は太公望の事を理解している」のだが「太公望ですら普賢真人の事を完全には理解できていなかった」のかな……と思う時がある。
「寄生宝貝Ⅰ -韋護登場!!-」に続く。