「死闘七 -閃光・静寂・そして…-」
『封神演義』第141回
太公望と普賢真人の唯一にして最大の違いは「普賢真人は率先して自分を犠牲にする」に対して「太公望は常に生き残る為を考えて戦っている」であろう。
太公望と普賢真人の状況把握能力はあまり変わらないと思う。しかし、太公望は「こういう状況だからこそ犠牲が少なくなる方法を考えよう」として、普賢真人は「こういう状況だからこそ犠牲が出る事を覚悟しよう」となる。
後に太公望と燃燈道人が「過程」と「結果」で意見を戦わせた事があるが、太公望と普賢真人の考え方の違いにも似たようなものがあって、普賢真人が聞仲撃破と言う「結果」を重視して策を考えたのに対して太公望は戦いの中で犠牲をなるべく出さないようにと「過程」を重視した策を考えた。
今から30年前に太公望と普賢真人が人間界に遊びに行った時、これから戦いが起きた時に自分は太公望の横にいると普賢真人が告げるのだが、その言葉を聞いた太公望の感想は「こやつは死んではならぬ。死ぬべきではないのだ」であった。
普賢真人が「自分は太公望の為に犠牲になれるよ」と言ったのならともかく「自分は太公望の横にいるよ」と言っただけで、太公望はそこに「死」を感じ取った。これが普賢真人の自爆後に太公望が「わしは……こうなるであろう事がわかっておった……」と呟くのに繋がる。
普賢真人を始めとする十二仙が次々と倒されていった時の太公望は目を見開き何かを叫ぼうとする等、ショックを受けた表情を見せていた。が、その後は「だが、もはや引き返せぬのだよ」の発言の時の表情を見ても分かるように落ち着きを取り戻したを通り越してどこか醒めた感じの表情を見せるようになっている。ここから聞仲との決戦まで太公望はどこか感情を消し去ったかのような雰囲気になる。
姿を現した王天君を見ての「なんだ、おやじの知り合いか?」と言う天化の発言が地味にツボに入る。いや、どう考えたってやばい雰囲気だろうに、どうしてここで王天君を父の会社か地域の知り合いみたいな奴と思えたんだろう……?
「死闘八 -永劫の幸福-」に続く。