翔龍shoryuの忍たま日記

『忍たま乱太郎』について色々と書いていくブログです。『ドラゴンボール』や藤崎竜さんの『封神演義』のレビューも書いています。

「太上老君をめぐる冒険3 -雲間に揺れて風立ち去りぬ-」 『封神演義』第151回

太上老君をめぐる冒険3 -雲間に揺れて風立ち去りぬ-」
封神演義』第151回

 

水先案内人・呂望が登場。後に邑姜が映像カメラで映し出した存在である事が明かされる。口調が途中で変わっているのは邑姜が呂望(=太公望)のキャラを掴み切れていなかったのかな?(でも、まぁ『キン肉マン』を見ていると回ごとにキャラの口調とかが変わるのはあまり気にならなくなるが……)

 

呂望の案内で一本道を歩く太公望は途中で普賢真人、姫昌、黄飛虎と聞仲、両親の姿を見る。呂望は邑姜の映像カメラで映し出した存在だったが普賢真人達は太公望の内面に深く関わっている上に隣にいた四不象には見えていなかったので、単なる映像カメラの映像とは思えず、楊任の宝貝・神の見えざる手のように太公望の内面を引っ張り出したものだと考えられる。ひょっとしたら周りに立ちこめている雲が太公望の内面を映し出す特殊な装置だったのかもしれない。

 

雲の中で太公望が見た人物は普賢真人、姫昌、黄飛虎と聞仲、そして両親であった。これらは全て太公望の心に深く刺さった人物で且つ故人である。太公望自身も「幸福だったむかし……。そこには強く引きつける力がある」と言ったように、親しかった人と再び会う事が出来るのなら会いたいと思うのが人情だ。しかし、太公望は「あやつらにおいてゆかれるからのう」「だがわしは……」「望はまだ立ち止まるわけにはゆきませぬ!」と過去を振り切り、未来の為に今現在を生きる事を宣言する。

 

ここで太公望が見る姫昌の姿は随分と若々しい。おそらくこれは20年前に太公望が初めて姫昌を見た時の姿だと思われる。太公望が直接会った時の姫昌は既に老人となっていたが、太公望の中では姫昌は今も初めて見た時の若々しい姿であった。
ここで面白いのは普賢真人、黄飛虎と聞仲、両親は「太公望と同じ位置」にいるのに対し、姫昌だけは「遥か高い所から太公望を見下ろしている」と言う図になっている事。太公望にとって姫昌は親友や両親とはまた違う「特別な存在」だったのかもしれない。
因みに姫昌の若い時の姿は現在の武王ととても似ている。太公望にとって姫昌が「特別な存在」だとするなら、太公望は姫昌と瓜二つである武王の事をどう思っているのか気になる。

 

太公望と両親の話は殆ど無く、この回が唯一と言っても良い。『封神演義』は親子の話が多かったので太公望も両親の話を一つの軸にしても良かったと思うが、おそらくその辺りの話は太公望が仙界入りしてから現在までの60年間で何らかの決着を付けたんだろうなぁ。

 

もし太公望が亡くなった人達に引かれて道を外れていたら崖から下界に落ちて死んでいた。そうなると「オメーも混じるか?」「辛かったら帰ってきていいのよ?」と言う仲間や親の言葉が「死」を意味していて思わずゾッとする。

 

ここで太公望は「失われた過去」を振り切る事が出来たが、これを振り切れなかったのが聞仲、そして後に登場する女媧であった。この時点では太公望と伏羲はイコールではないが、女媧の言動に対する主人公側の答えの一つであったと言える。

 

太上老君をめぐる冒険4 -太公望・筋肉質となる-」に続く。

 

 

封神演義 17 (ジャンプコミックスDIGITAL)

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