「歴史の道標三 -予兆-」
『封神演義』第174回
周の時代が始まって武王は仕事に追われる毎日。思わず文句を言う武王だが、邑姜に「王の仕事とはかようにジミなものがほとんど…、華々しいものは極めてわずか0.1%ぐらいのものなのです!!」と指摘される。実はまともな時の紂王もこのような地味な仕事をしている場面が多く、彼が華々しいイベントに参加しているのは妲己に骨抜きにされていた時であった。こうして見ると、紂王は歴史の道標の干渉が無ければ名君として終えられていたのかなと考えてしまう。(女癖が悪すぎるが……)
姫昌が弱った後の西岐(周)で政治や軍をどう扱うかと言う話は周公旦と太公望が話し合って決める事が多かった。殷周易姓革命が終結した為、太公望は周を離れる事になるが、そこを太公望の血縁である邑姜が補う事になる。
ここからは周公旦と邑姜がコンビを組んで武王を支える事になるのだが、実は周公旦も邑姜も初登場での仕事が「罪人に対する処罰」であったりする。今思えば、邑姜を桃源郷の裁判長にしたのは、いずれ周公旦とコンビを組むのを見据えての設定だったのかもしれない。
父も母も伯母も兄も失った天祥は自閉気味になる。
天化以外の兄達はどうしているんだ?と思ったが、天祥がいるのは朝歌で他の黄家がいるのは豊邑なので、すぐに会う事が出来なかったのだろう。(次の話で天祥は「豊邑でおじーちゃん達にお別れを言いたい」と言っている)
そんな天祥を救ったのは哪吒。思えば哪吒は戦闘以外の描写がかなり少なかったが、その数少ない戦闘以外の描写が天祥とのやりとりだった。天化と決着を付けようとしたところを止めに来た天祥が母を失っている事を知った哪吒はそこで初めて自分や家族以外の人間について気を遣うようになった。つまり、天祥は哪吒が戦闘以外の部分を得るきっかけとなった人物だったと言える。
父も母も兄も失った天祥を自分が育てると言う哪吒。本人はどこまで意識しているかは分からないが、初登場では父との関係で揉め事を起こし、その後も兄達と喧嘩を繰り返していた哪吒が今は天祥の親代わり兄代わりになろうとしているのが興味深い。
ところで、天祥の面倒を見ると言った哪吒だが、彼に子供が育てられるかと言うとかなり疑問が……。どちらかと言うと天祥の方が哪吒の面倒を見る事になりそう。
天祥からすれば父も兄も死んだのもショックなのだろうが、父も兄も死ぬ時に天祥以外の人を見ていたと言うのも自閉気味になった理由なのかなと思う。天祥はどこかで自分は捨てられたと思ってしまったのかもしれない。そんな天祥の気持ちを感じたのか、この回以降の哪吒は常に天祥の事を気にかけるようになる。
自分がいなくても周と言う国は機能すると判断した太公望はこれ以上の関与はいけないとして仙道達を人間界から引き上げる事を決める。
武王は「今までだって上手くやって来たから、これからもいてほしい」と頼むが、太公望は「それは駄目だ」と断る。確かに今は良いかもしれないが、いずれ武王や周公旦や邑姜が寿命で死んでも不老不死である太公望は生き続けているので、結局は殷を支配する事になった聞仲と同じになってしまう。
太公望の考えを理解した武王は「でもよ! これが今生の別れってわけでもねぇよな!」と言って太公望と握手をする。太公望は女媧との戦いを終えた後に武王達に会いに行っているが、それはこの時に交わした再会の約束を果たす為だったと思われる。
女媧の覚醒によって、女媧の夢を盗み見ていた太上老君も目を覚まし、黒点虎からその事を聞いた申公豹は太上老君に会いに行く。
おや? と言う事は申公豹は太上老君が地上の羌族の村で寝ている事を知っていたわけだ。なのに太公望が太上老君を探していた時には太上老君の居場所と言いながら羌族の村ではなくて桃源郷を教えている。おそらく申公豹は太上老君と会話をするには邑姜の紹介が必要だと判断したのであろう。
申公豹が邑姜の事を単に存在を知っているだけだったのか、それとも実際に会って会話をしたりしたのかまでは分からない。しかし、邑姜は太上老君の教えを受けていて、申公豹も次の回で太上老君の弟子である事が判明するので、二人は共に太上老君の弟子と言える関係になっている。
今回の話の最後の「ラン ラーララ ランランラン♪ ラン ラーラララー♪」は反則すぎるだろw
「歴史の道標四 -BLACK BOX-」に続く。