燃燈道人が使う能力は「術」と言うまだ宝貝が主流ではなかった時代に使われていたもので、今では水を酒に変えたり楊戩の変化くらいにしか残っていないとの事。劇中では燃燈道人以外に術を使用する人物がおらず(妲己の誘惑の術は傾世元禳によるもの)、太公望が術に関する知識を持っていない事から、仙人界において術は既に過去のものとなっている事が分かる。
そうなると燃燈道人の年齢が気になる。実は劇中に登場する人物の中でも最高齢に位置するのかもしれない。そして、おそらくはその燃燈道人より年上の元始天尊や姉の竜吉公主の年齢も気になってくる。それとも燃燈道人も昔は他の仙人と同じように宝貝を使っていたが女媧との戦いに備えて術を会得したのかな?
仙道は最初の人の力が濃く発現した者となっているので、昔の仙道は術を使っていたと言うのは昔はまだ最初の人の血が濃く残っていたと言う事なのだろう。
今回の敵である馬善をはじめ妲己配下の妖怪達は元々は通天教主の下で修行していたが誘惑の術を身に付けた妲己に連れられて金鰲島を離反した者達である。それを楊戩が倒すと言うのは金鰲島の教主であった父の代わりに反逆者を処分したと見る事も出来る。
実際、今回の楊戩は三尖刀や変化の術と言った「崑崙山に来てから得た力」は使わず「通天教主の形見である六魂幡」をあえて使って金鰲島を離反した馬善を倒している。
六魂幡の能力は魂魄すら消滅させる「無」。
太公望は味方だけでなく敵の犠牲も出したくないと考えている。やむを得ず敵を倒す事はあるが、それでもまだ「魂魄は封神台に行き、そこで新たな道を歩む」と言う逃げ道がある。しかし、魂魄すら完全に消滅させてしまう六魂幡にはそう言った逃げ道は無い。これは太公望の考えに反していると言えるが、今回の楊戩は「崑崙山の道士・太公望の仲間」として戦ったのではなく「金鰲島の妖怪・通天教主の子」として戦ったと見る事が出来る。
今回の楊戩は「僕には今まで出会ったみんなの力が宿っている」と語る「崑崙山の道士」としての面と「なんとも残酷な宝貝です」と語る「金鰲島の妖怪」としての面を見せている。「崑崙山の道士」と「金鰲島の妖怪」の両方の側面を持つ楊戩だからこそ、女媧との戦いの後、人間の仙道と妖怪が集まった新たな仙人界をまとめる事になったのだと考えられる。
今回の話を見ると、楊戩には「崑崙山の道士」と「金鰲島の妖怪」と言う二つの側面がある事が分かる。そしてこの二面性は「太公望」と「王天君」と言う二つの側面を合わせる事で復活した王奕に通じるものがある。
かつて楊戩は「自分はこれからもずっと崑崙の味方です。でも、妖怪です」と語った事があるが、王奕(伏羲)の場合は「自分は始まりの人。でも、地球人の味方だ」となったわけかな?
「歴史の道標十一 -帰ってきた王貴人!!-」に続く。