翔龍shoryuの忍たま日記

『忍たま乱太郎』について色々と書いていくブログです。『ドラゴンボール』や藤崎竜さんの『封神演義』のレビューも書いています。

「歴史の道標十七 -太公望+王天君=王奕=伏羲-」 『封神演義』第191回

「歴史の道標十七 -太公望+王天君=王奕=伏羲-」
封神演義』第191回

 

この回のトビラページで「燃燈道人はゲームの主人公の色違いキャラ」と言う事が語られている。これって、燃燈道人の登場は決まっていたけれどデザインをゲーム主人公の色違いにしたと言う事なのか、ゲーム主人公の色違いキャラを出す為に燃燈道人の登場させたのか、どちらなんだろう? 燃燈道人がいないと最後の謎解きが大変なので前者かな?

 

太公望(王奕)を見ての皆の反応が面白い。
楊戩は太公望の雰囲気が変わった事を不思議に思い、申公豹は一瞬で事態を理解し、竜吉公主は太公望の中に邪悪な気を感じ、哪吒は強さに着目し、張奎は太公望の右目にクマができている事を気にしちゃう。

 

楊戩が太公望の正体が王奕と知って攻撃するも最終的には矛を収める場面だが、この場面はわずか数秒で「楊戩は王奕の魂魄が二つに分けられていて、その一つが王天君に、もう一つが太公望となり、二人は司令官と敵と言う表と裏の関係で封神計画を遂行していて、その封神計画の一環として自分の父・通天教主や師・玉鼎真人が封神される事となったのだが、王奕の中にいる王天君はそれを実行に移したが、その一方で王奕の中にいる太公望はそれを避けたいとしていて、今の王奕は太公望の割合が大きいので、今の王奕に向かって自分の父や師の事を問い詰めるべきではないと理解する」と言うのをやっている。
わずか数秒でここまでのやりとりをやれるのが今の楊戩と太公望の関係なのだろう。因みに楊戩と太公望の関係をよく知らない人に今のわずか数秒のやりとりを見て理解しろと言うのは到底無理な話で、実際、張奎は全く話に追いつけていなかった。(一人置いてけぼりを食らった感じの張奎だが、彼の「見た目が変わった」「どうして生き返ったのか謎」と言う感想が最も「普通」の感想だと思う)

 

太公望の正体を知って「やはり太公望は私のライバルにふさわしかったのですね!」「初めて会った時のカンは正しかったのです!」と嬉しそうに話す申公豹。
彼はこの後は楊戩達とは別行動を取り、太公望が女媧の肉体を地上に持ち運んで最終決戦を行う事を予想して一足先に地上に向かう。
これまで何だかんだ言いながらも太公望を手助けしてきた申公豹だったが、遂に太公望は申公豹の手助け無しで戦えるほどの存在となった。最強の道士として自分と互角に戦える存在が少なくなっていく中、申公豹は太公望の事をいつか自分と互角以上に戦えるかもしれない存在と見ていたのかもしれない。そして、その勘は10年の時を経て現実のものとなった。

 

楊戩達が自力で山河社稷図から出る中、実力不足の張奎は哪吒と一緒に残って特訓する事に。最終的には禁鞭で亜空間を破るほどの力を手に入れる事になるが、かつての聞仲が十天君の作った亜空間から脱出できなかった事を考えると、この時点で張奎は聞仲を越える力を手に入れたと言えるのかもしれない。(実際、楊戩は「聞仲以上」と言う評価をしている)

 

蓬莱島の中心部には居住地のような施設が見られる。これなら数千人単位の人間を住ませる事が出来そうなのだが、実際に地球に降り立った最初の人はわずか5人だった。最初から5人しか乗っていなかったのか、最初はもっと多くの人間が乗っていたが最終的に5人しか地球に辿り着けなかったのか……。
この伏羲と女媧の再会シーンだが、悠久の時を経て、無人の居住地を舞台に、かたや魂だけの存在、かたやかつての肉体を失った存在、と地球に降り立った最初の人は既に滅んでしまっている事を感じるシーンになっていて、「まるで故郷に帰ってきたようじゃ…」と涙する女媧が見ていて辛い。

 

歴史の道標十八 -女媧・大爆笑-」に続く。

 

 

封神演義 22 (ジャンプコミックスDIGITAL)

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