翔龍shoryuの忍たま日記

『忍たま乱太郎』について色々と書いていくブログです。『ドラゴンボール』や藤崎竜さんの『封神演義』のレビューも書いています。

「老賢人に幕は降り㊦」 『封神演義』第54回

「老賢人に幕は降り㊦」
封神演義』第54回

 

前回の話で崇侯虎の死亡が明らかになる。地下の酒蔵の奥で死んでいたのだが、それにしても弟の崇黒虎でも生死どころか現状も分からず太公望も朝歌にいるのか北に帰っているのかすら分からない状態だったと言うのは少しおかしい。崇黒虎が姫昌と会った前後に武吉や北のスパイがすぐに崇侯虎の死を知ったところを見るに妲己は崇侯虎の死が明らかになるタイミングを計っていたのではないだろうか。
妲己の真の目的は西岐に殷を滅ぼさせる事である。しかし、崇侯虎が生きていては北は殷に味方してしまう。かと言って崇侯虎の死を早く明らかにしたら北は西岐の準備が整う前に殷を攻めていた可能性がある。そこで妲己は北と西岐が手を結ぶかどうかと言うタイミングまで崇侯虎の死を隠していたと考えられる。

 

「困ったな…。もう本当に何もする事がない…」。
ここで姫昌がしてきた事を並べると、西岐を栄えさせた、太公望や黄飛虎と言った人材を受け入れた、北を説得して朝歌包囲網を完成させた(描写は無いが東と南も姫昌時代に協力体制が出来ている)。こうして見ると殷周易姓革命の構図は姫昌の時代で確立している事が分かる。本来ならここで長男の姫伯邑考が後を継いで朝歌と戦うのだったが……。

 

姫昌の死の間際に伯邑考の魂が現れる。
漫画でよくある演出と思ったが、ひょっとしたら後に明らかになる「実は魂魄は封神台の外に出る事が出来る」の伏線だったのかもしれない。

 

おそらく姫昌は封神されていない。自分は「封神されるのは仙道の素質を持った者」と考えたが、ひょっとしたら、元始天尊がこの時だけ封神フィールドを解除したので姫昌の魂は封神されなかったのかもしれない。
どうして元始天尊は姫昌の魂を封神しなかったかだが、西岐が殷との戦いに向けて一つにまとまるには「姫昌の死」と言うのが必要だった。そして人々が「死」を認識するには「遺体」が必要となる。封神されると肉体も残らないので、元始天尊は封神フィールドを解除する事で姫昌の遺体を西岐に残し、民が一致団結する為の一つの象徴としたのかもしれない。

 

姫昌の死後、すぐに次の仕事に移る太公望を姫発が殴ったのも理解出来るし、周公旦が新たな国作りをすぐに始めたのも理解できる。こうして見ると、やはり姫発と周公旦の兄弟二人が国のトップには必要なのだと思う。

 

魔家四将① -革命幼年期の終わりと物語枢軸のはじまり-」に続く。

 

 

封神演義 7 (ジャンプコミックスDIGITAL)

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