翔龍shoryuの忍たま日記

『忍たま乱太郎』について色々と書いていくブログです。『ドラゴンボール』や藤崎竜さんの『封神演義』のレビューも書いています。

「家へ帰ろうの段」 『忍たま乱太郎』25期第54話

「家へ帰ろうの段」
忍たま乱太郎』25期第54話
2017年6月22日放送

 

25期はここでひとまず終了。

 

「休みになったら家に帰ってください」「仕事があるので帰れない」と言う利吉さんと山田先生のいつものやりとり。その後、山田先生は仕事をしながら部屋から逃げ出し、それを利吉さんが追う事になる。逃げる山田先生に対して利吉さんは本気で怒っておらず、どこか楽しみながら追っているように見えるので、母上と父上を会わせたい以上に自分自身が父上と一緒にいたい(遊びたい)のかなと思える。

 

今回の話できり丸は土井先生と一緒に帰れなくなった事に文句を言わなかったが、利吉さんは家に帰れない山田先生に文句を言いまくっている。利吉さんが実の親である山田先生に遠慮が無いのに対し、きり丸は土井先生に対してどこか遠慮があるのかもしれない。

 

利吉さんは家族3人揃って休みを過ごしたいが、山田先生は仕事があるので帰る事が出来ない。それなら忍術学園で家族3人が一緒に過ごせば良いとした山田先生の奥さんの発想がお見事。

 

忍術学園が休みに入って、乱太郎、しんべヱ、きり丸も家に帰る事になるのだが、土井先生が急な仕事を頼まれたので帰れなくなってしまう。きり丸は寂しさを表に出す子ではないのだが、それでも今回のきり丸を見て視聴者も乱太郎としんべヱもきり丸の寂しさを感じ取る事が出来た。きり丸自身は土井先生と一緒に帰れなくなっても寂しくないと言っていたが、黙っている場面がかなり多かった。これは寂しさを表に出さないようにしていたと言うより何か考え事をしていたように見えた。ひょっとしてだが、きり丸は「今まであまり感じた事が無いこの気持ちは何なのか?」と言うのを考えていて「これが「寂しい」と言う気持ちである」と言う事に気付いたところだったのかもしれない。自分が今まで自覚していなかった気持ちに対してきり丸は一人で内にこもって黙って考えて処理しようとする子なのかもしれない。
仮にきり丸が「寂しい」と言う気持ちを今まであまり感じておらず、今回の話で初めて自覚する事になったとするなら、それは「今まで家族がいない状態が当たり前」だったのが「今は土井先生と言う家族がいるのが当たり前」となり、それが今回の話で土井先生と一緒に家に帰る事が出来ないと言う「いつもと違った状況」になったからこそ、それを「寂しい」と感じたのだろう。言葉でハッキリとは言っていないが、きり丸にとって土井先生は「家族」である事が分かる。

 

一緒に帰れなくなった事できり丸はすぐさま「寂しさ」を感じたのだが、土井先生はそれをすぐには気付けなかった。きり丸自身が自覚しているかどうか分からないが、やはりきり丸はまだ10歳の子供で「親」や「家」と言ったもののあたたかさから離れたくないと言う強い気持ちがある。土井先生がそれに気付けなかったのは普段のきり丸はそう言ったものを表に出す事が無く、自分は一人でも生きていけるような事を言っているからかもしれない。しかし、実際はきり丸も心の奥底に寂しさを抱えている普通の子供なのだ。10歳にして一生消えない心の傷を負ってしまった子供……。
「子供は親や家と言ったもののあたたかさから離れたくない」と考えた時、今回の話できり丸の寂しさをいち早く感じたのが乱太郎、しんべヱ、利吉さんと全員が子供だったのは納得。(親である山田先生は利吉さんに言われて今回のきり丸の状態に気付いている)

 

最後は山田先生が家に帰れないのなら忍術学園で家族揃って過ごせば良いと言うオチだったが、それならきり丸も家に帰らず忍術学園に残っていれば良かったんじゃないかと思うところだが、「あの家に帰る」と言うのが大事なんだと思う。と言うのも、きり丸は村を焼かれて家族だけでなく家や近所も失っている。きり丸にとって土井先生は大切な「家族」だけれど、その家族が一緒に過ごせる「家」も大切なものなのだ。正直言うと、あんなに家に帰れないのなら大家さんに返してきり丸と土井先生は忍術学園に住めば良いのではと思った時もあったが、そうではない。「ただいま」「お帰り」と言えるあの家が無くてはいけないのだ。

 

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