「それぞれの再会」
『DRAGON BALL』其之百六十六
いよいよ今回から大人になった悟空が登場する。
『DRAGON BALL』の扉絵はキャラクターが描かれる事が多いが今回はあえて武道会場のみとなっていて3年経って皆がどのような変化をしたのかが隠されていた。そして本編に入って第1話ではまだ少女だったブルマが口紅を付ける大人の女性に変わったのを見せた後でブルマ以上に変化した悟空を見せて読者を驚かせている。
面白いのが一番変化した悟空をあえて最後に登場させないで中盤に出す事で最後に登場したクリリンやヤムチャの変化が霞むようにしている事。実はクリリンもかなり身長が伸びているのだが悟空の変化を見た後だとブルマ達も読者もあまり反応が出来なくて、その反応の薄さがギャグになっている。
皆が悟空の変化に驚く中、クリリンだけは「ちっとも生き返ったお礼が言えなかったじゃないか!」だったのが良かった。外見ではかなりの違いが生じたのだが、それでもこの二人の関係は変わらないんだなと言うのを感じた。
ヤムチャは西の都に帰ってすぐに一人で修行の旅に出てしまったらしく、その事についてブルマは「わたしもおいてね…」と怒りながら説明している。
後にブルマはヤムチャと別れるが、この頃のヤムチャは女性に浮気すると言う事は無いがブルマから離れて修行する事があって、そこがブルマには不満だったのかもしれない。後にブルマはベジータと結婚するがベジータはセルゲーム以降は基本的にブルマと一緒にいる。(『超』だと地球を離れて修行をする事があるが)
武天老師はもう悟空や天津飯には歯が立たないとして天下一武道会への参加を見送る。さらに皆は既に立派にそれぞれの道を歩いているのでいつまでも亀仙流の胴着を着る事も無いと告げる。
これによって最初のドラゴンボール探し編から続いた「師匠・亀仙人」の話はここで一段落する事になるのだが、亀仙人を尊敬する悟空・クリリン・ヤムチャは自分で亀仙流の胴着を用意していたのだった。
悟空とブルマと言えば「第1話から登場しているが恋愛関係にならなかった二人」であるが大人になった悟空を見たブルマの反応を見るに恋愛の可能性が全く無かったわけではなかったようだ。
悟空はブルマに対して恋愛感情を抱いてはいなかったがそれはこの時点でのチチに対しても同じなので、この後のチチのようにブルマがまず交際や結婚を提示してそれから恋人や夫婦に相応しい行動をするようにしていたら悟空がそれに応じた可能性はあったと思われる。(ただ、まぁ、自分は悟空とチチの夫婦関係が好きで悟空とブルマの関係は「ブルマ」「孫くん」が一番尊いと考えているが)
悟空を大人にする事について当時の編集だった鳥嶋さんは反対したらしい。
結果として悟空を大人にする事は成功であったが当時の鳥嶋さんが反対したのも分かる。と言うのもこの頃の悟空は「冒険から戦いに変わったので筋斗雲が移動以外に使われない」「神殿に辿り着くのに如意棒を使った」「神様が月を元に戻す為に尻尾を無くした」「大人になったので「小さい子供が大きい大人を倒す」と言う構図が無くなった」とコミックス一巻の頃にあった悟空の特長の殆どが無くなっているのだ。少年漫画の主人公の特徴の殆どを消すと言うのは編集からしたらかなりの冒険だったと思う。
悟空の外見的な特徴の殆どが無くなって残ったのは髪型ぐらいなのだが、ターバンを巻いて隠していた髪型を見せたら、筋斗雲に乗っていなくても、如意棒を武器に使わなくても、尻尾が無くても、チビでなくても、この髪型を見れば劇中の人物も読者も彼が悟空だと確信を持つ事が出来ると言うのが興味深かった。
『DRAGON BALL』は髪型が変わってもブルマやヤムチャと言ったキャラクターがちゃんと分かる作品なのだが、悟空やベジータを見ているとやっぱり特徴的な髪型と言うのは漫画にとって大事なんだなと改めて感じた。
因みに魔人ブウ編では悟飯が少年から大人になっているのだが、悟空と違って悟飯は特徴的な髪型を持っていなかったので、大人になった悟飯は少年時代にあった特徴を全て無くす事になってしまい、少年時代の悟飯と大人になった悟飯が上手く繋がらないところがあった。そのせいか外見的な変化が無い悟空やベジータと比べると大人の悟飯は主人公でありながらいまいち印象が薄いところがあった。
「波乱の天下一武道会」に続く。